入退院時の調整と、カンファレンスの持つ意味について
医療による治療の現場である病院と、生活の場である自宅、それをつなぐポイントは何か?考えています。一人ひとりの患者(利用者)の生きがいや生活の意向、生きていく希望は異なるのです。どのような思いを持っているのか?について、本人と一緒にその核心を探り、本人の気持ちに添う退院プランを提示することが必要となります。
医療者には、以下の配慮が求められます。 医療提供に関して、その個別ケースで考えられる治療について、どのように治療するか?の選択肢を丁寧に利用者に提示し、利用者自らが選ぶことができるよう、説明をする責任があります。
以前のように、上からの一方的な「やってあげる治療」ではなく、「患者が選択できる治療」に進化することにより、医療はより治療を受ける人本位となります。
この場合、圧倒的に、情報量が少ない、患者自身の判断を、どのように保証することができるのか?課題となります。患者本人が、自分が信頼のおける家族や友人、後見人や専門家に対して、いつでも話し合いや質問ができることが必要であり、その権利を優先的に保護することが大切です。
ケアマネジャーという立場上、利用者の入退院の調整をすることがあるのですが、退院時に、しっかりと利用者の意向を聞き取り、相談機能を豊かに維持しているかどうか?疑問が残るケースがあります。具体的には、在宅のケアマネジャーと、退院調整係のCWなどが調整の役割を果たすことが多いのですが、利用者の意向がどこまで反映されているのか?疑問となる場面が多々あります。
得てして、病棟の担当医師の診断と、治療に対する意見が優先先行し、本人の意向を脇においた方針議論が先行しがちとなるのです。
病院で、入院している本人の立場は弱い。医療提供者と対等の位置で意見交換が出来るということが保証されていないのです。保証するシステムそのものが大前提となっていないなかで、患者本位の医療とは程遠い現状があります。
先日も、ある利用者の退院調整の過程で、入院している利用者の退院に向けたカンファレンス開催をケアマネからCWに要請したところ、以下のような逆提案がありました。
「4項目ほどの治療に関する現在の院内治療を、在宅でも続けられるのか?その答えを先に下さい。もし、それが無理なら、自宅に戻すことは無理です。」告げられた4項目には、毎日2回点滴や、インスリン投与等の医療行為が含まれていました。そこで、早速在宅担当の医療チーム(往診のDrや訪問看護ST管理者)にその旨説明し、対応可能か?聞きました。その結果、とても、それだけの医療を在宅ケアーで続けることは困難であるとの返答が来ました。
このケースの場合、病院で行われている治療を、果たして本人が望んでいるのかどうか?今後本人は、どのようにしたいのか?についての、本人の意志が見えないのです。そこで、ケアマネとしては、カンファレンス開催により、本人の思いをしっかり確認し、その上で今後のことを話し合うべきだと考えるのです。
ところが、このケースの場合、病院の連携係は、カンファレンス優先について答えず、院内での治療が、自宅に戻っても継続できるかどうか?を退院の条件とし、カンファレンスを先に開く必要性はないとしているのです。つまり、退院出来ないのなら、カンファレンスは開かないということです。
この論理は、どこかおかしいと思いませんか?
退院できる・できないは別にして、先に、利用者の気持ちや治療について、本人の意向を聞くべきであり、本人が不安に思っていることや、疑問に思っていることに対して、可能な情報意見を提供することが尊重されるべきではないでしょうか?また、その最良の機会提供が、カンファレンスであり、複数の関係者の確認と話し合いの中で行われるべきだと考えます。
紹介したこのケースは、現在進行中なので、その後のことはまた機会があるときにお話したいのですが、ここで述べたいことは、治療を受ける患者本人の意向が、まだまだ蔑ろにされている医療現場が多いのではないか?ということです。
在宅のケアマネジャーが、そうした利用者の権利と意向を、どうすれば守り支援することが出来るのか?常に問われています。
ケアマネ一人が奮闘しても、やれることには限界があるのですが、非力でも、利用者の立場にたった意見と発言は可能です。その役割は、重要です。
上記のようなケースに直面するとき、医療専門職に対して、ただ原則論だけを述べても効果は出ないことを痛感します。CWの人達も、それぞれ個性があり、患者の意向を最大限に尊重する役割を果たそうとしているはずです。しかし、得てして、医師の意向に影響されやすい職種であるとも言えるわけです。
コロナ禍の中で、閉じられてしまった病院と自宅との間のカーテンは、退院調整時のカンファレンスということについても、まだまだ深い影を残しています。
今後、開かれたカンファレンスの意義を再確認し、その中で、利用者の意向がより尊重される医療体制の確立と、利用者を受け入れる在宅支援サービスの充実が進むよう、改めて気持ちを引き締めていきたいと思う、今日このごろです。 2023/4/2記
コロナと、隔離と、隙間。ケアマネとして出来ること。
2022年6月末より、徐々に再拡大しているコロナ感染。介護の分野でも、感染拡大が浸透しています。先日、担当する利用者の訪問リハビリ理学療法士が、コロナ感染陽性となり、仕事が出来なくなりました。加えて、濃厚接触者としてその利用者が特定され、受けている他のサービスも使えなくなったのです。具体的には、訪問介護やショートステイのサービスもストップしました。
この影響で、一番困ったのは、利用者の唯一の家族である介護者の息子さんです。各サービスが再開できるまで、自宅で利用者を単独介護しなければならないからです。
このケースでは、利用者の健康状態に変化なく、自宅での介護を受けられた。しかし、独りで介護する介護者を、どのように支えたらよいか?という問題に直面しました。介護サービス等は、濃厚接触者へのサービス提供を取りやめてしまうので、使えません。では、他に支援可能な社会資源があるか?というと、地域には、こうしたケースにおいて、支援の手を差し伸べる手立てがない。つまり、このケースでは支援の隙間が、コロナ感染により拡大したということです。
今回、こうした事態の進行の中で、ケアマネとしてではなく、一つの社会資源として、ボランティアの提案を息子さんに打診しました。提案は受け入れられ、入浴と摘便の介助について、手伝うことが出来ました。
(久しぶりの身体介護だったので、後日、少し腰等に身が入ってしまいましたが)無事、家族の協力者として、必要な利用者ケアーを自宅で行うことが出来、介護家族に対する負担軽減の一助を果たすことが出来ました。
その後、その利用者は、再開された各サービスを利用し始めているのですが、もしまた、利用しているサービスの中で、陽性者の発生する事態になれば、同様にサービスが中断してしまう可能性があります。
きっと、こうしたことは、このケースだけでなく、いくつも起こっているのではないか?いわば、今回の出来事は、氷山の一角で、介護や利用者支援の隙間であえいでいる実態に、目を背けてはならないと感じます。こうした問題に対して、必要な援助の手が差し伸べられる仕組みを、私たちの社会に根ずかせていかねばと感じるのです。
現在の感染状況下での介護サービスの危うさに対して、どのような対応が可能なのでしょうか?今回は、ケアマネがボランティアをして、一つのケースでは隙間を埋める支援が出来た。しかし、これが頻回に起こってきたら、ケアマネの対応は無理でしょう。また、今回は、利用者の感染の可能性が低いことから、無事支援提供をすることが出来た。しかしもし、利用者が感染していたら、ケアマネも感染の大きなリスクを負ってしまったことになります。
10日現在、全国では第7波として、感染者が倍増しており、一旦落ち着きかけたコロナ感染の予防と、熱中症等の夏の季節リスクに対する対応など、難しい問題が私たちの前に広がっています。私たちの足元に広がる、支援ネットワークの危うさについて、今回の体験は、大きなテーマを投げかけているように思う今日この頃です。
2022/7/10
匿顔社会の継続について:
一昨年から、コロナ感染状態は、世界をすっぽり包み込んで、例外なく匿顔社会を作り出しているようです。最近は、欧米のように、マスク着用義務を公共の場でも除外する流れもあるのですが、それが本当に長続きするのか?定かではありません。どんどん、変異株が発生し、その都度新たな感染のうねりが作り出されています。ワクチン接種も、その後追いのように行われていますが、いつまで、こうした感染不安が続くのか?誰も分かりません。
普通のコミュニケーションが取り辛い、現在のマスクやアクリル遮蔽版が幅を利かせている社会生活は、異常な生活様式であること、それは人間の文明歴史の中で記録に残される異常事態であろうと思われます。しかし、一方では、病原菌の人間社会の流行自体は、ペストやコレラ、インフルエンザなど今までも何度も発生してきた歴史があります。多くの犠牲者は、その社会で弱い立場におかれた貧困層が、最大の被害こうこうむることになっていることも事実でしょう。改めて、現代社会が、弱者を犠牲にしない、仕組みを整えていけるのかどうか?問われていると思います。
政治というものが、本当に、そうした社会的に弱い立場の人たちを、守る制度とあり方を常に更新していくためには、実際の選挙への積極参加と、政策監視を私たち国民一人一人が強めることが必要だと痛感します。
夏には、参議院選挙があるんですよね?棄権するのではなく、候補者や政党の政策をしっかり見極め、相応しい候補者へ、投票行動をしていかなければと自問する今日この頃です。
2022/5/13
昨年4月、膀胱癌で入院手術後、3~6か月毎の検査を継続しながら就労を続けられています。一時は、「仕事を辞めなければならない?」と悩みましたが、幸い、その後の病気の進行は特に悪化をすることなく通常の生活が出来るようになりました。このホームページを見て下さっている閲覧者の中には、利用者やその家族の方も居られることは承知のうえで、本音を書き記す事の意味をかみしめております。それは、もちろん健康体であり続けて、支援者として活動が続けられることがベストですが、現実はなかなかそうはならないということがあります。
私も、年齢的に還暦から喜寿を超えて、体力は如何ともしがたく低下する中で、業務を継続することの難しさを痛感します。しかし、一方では、年齢に関係なく、社会貢献の一端を担えることの喜びも実感します。事業としては、とても利益を上げるレベルには達することは出来ませんが、無駄を無くして遣り繰りすることが、ある意味老化防止にもつながっているようです。
誤解を恐れず書かせて頂ければ、もう少し今の仕事にしがみついてやってみようと考えております。団塊の世代の一員として、自分が出来る専門職としての役割を、幾つまで継続できるか?
それが、私自身のテーマです。
失敗したり、一度聞いたことを忘れてしまったり、落ち込むことも多々ありますが、それでも、次の日には気持ちを新たに持って前を向き、仕事が出来ることの幸せを実感します。
そんな気持ちを、毎日新たに鼓舞しながら、業務を続けております。
2021/8/12
予想しなかった入院治療の体験をしました。
本年3月、血尿が出たので異常を察知し、検査を受けると、どうやら膀胱内に腫瘍が出来ている。取り除く手術を受けたほうが良いとドクターに言われました。
自分は健康だと自認していたので、動揺しましたが、早いうちに治療をしようと、4月末、1週間ほどの休みを取り、入院手術を受けたのです。・・・ご存じのように、新型コロナ蔓延の時期と重なったので、病室が簡単に開かないのでは?と思っていましたが、幸い早い時期に空きが出て治療をする事が出来ました。
術後は、おしっこの際の痛みや頻尿頻回な尿意に悩まされたのですが、2か月が経ってほぼ術後前程度の健康状態に戻っています。2・3か月に1回の検査には行く必要がありますが、それ以外は通常の暮らしが出来るので、仕事にも復帰し、大きな支障なく過ごしています。
この病気の経験から、病気と隣り合わせに、自分は生きていることがよく分かりました。
自分も、例外なく癌の患者の端くれになったことと、いつ病気が宣告されて通常の生活が維持出来なくなっても、自分らしく生きていく強さが必要だということを学びました。
一時は、「もう仕事も出来なくなり、全くの病人になるのだろうか?」と不安を持ちましたが、幸いまだ、今の仕事を続けながら、暮らしていく事が出来そうです。
2020/06/23
2018年6月30日、ベランダに植えた朝顔が咲き始めました。
未だ一輪だけですが、透き通るような色彩に見とれてしまいます。
きっと今年も、真夏の一日の始まりの時に、清らかなメッセージを届け続けてくれるでしょう。
近頃、介護殺人の事件が頻繁に報道されている。
・・・80代の夫が、認知症の妻の首を絞めて殺害した等々。
ことそこに至るまで、相談する人や、助けに来る人が居なかったのか?
悲惨な結末を聞くにつれ、こうした事件が増えないように、
如何したら良いのか?考えてしまう。
担当する利用者の中にも、介護の問題に悩み、行き詰っている人が居る。
・・・そういった人たちに対して、私たちケアマネジャーが、苦しい時の相談相手となるよう、
普段から傾聴と、その人の人権を尊重したコミュニケーションが求められているようです。
2017/3/12(日)
日本介護支援専門員協会の近畿ブロック研修会に参加してきました。
2日目の各分科会研究発表では、自立支援グループで事例発表させていただき、研修終了後に灘区にある「人と防災未来センター」に行ってきました。
16:10分からの館内案内だったので、一部しか見れませんでしたが、西館の4F「1.17疑似体験」は圧巻でした。神戸の街が、地震によりあっという間に崩され、火の海になっていく様を追体験することが出来ました。
6千人以上の人たちが、命を失った震災の実際を、語り継議伝えていくことにより、次の自然災害に対して有効な防災と減殺をしていくことが可能となります。
日本の国は、特に地震や火山津波などの災害について、もっと敏感かつ慎重確実に対策を打つべきだと考えます。
いざ、南海トラフの地震や津波が押し寄せてきても、備えを怠らずに、やれることをやり、減災につなげることが出来れば、と痛感しました。
いつ、どこで地震や津波が発生したとしても、落ち着いて、その場でやれることをやっていける・・・そんなスタッフの連携で、緊急時対応をしていきたいと考えます。
「今日一日、あの人たちが笑顔で過ごせますように!」
そう願って、毎日の業務につく日々を送っています。2016/07/09