〝コロナ禍〟厳しい試練の3年間…
誰が、こんなに厳しいコロナ禍を予測したでしょう。3年もの間、これ以上の対策はもうしようがない、介護スタッフのみながその思いだったでしょう。これでもか、これでもかと、いったい何の報いだったのか。
母が89歳で他界しました。施設に入って1年の事でした。その前、いくつかの病気を抱えて入院していた母は、退院してそのまま施設に入居しました。
すでに言葉にはならなくても、こちらの言う事には多少の表情をつけながら反応していました。しかしコロナ禍の施設では、面会が思うようにはできず、寂しい思いをさせてしまいました。おそらく母は、なぜ息子たちはもっと会いに来てくれないのか…、きっと朦朧としたいしきのなかでそんな思いでいたに違いありません。
早くコロナが終息し、送られる者、送る者ともに、手が届き、思いが届くところで終末期に臨みたいものです。(秀)